ラベル Kunming の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル Kunming の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2013年12月30日月曜日

雲南省 昆明 天瑞酒店


天瑞酒店は、昆明空港から車で20分の位置にあり、二つのビルが繋がった部屋数の多いホテルです。レセプションの女の子は、少し英語を話すことができて笑顔で対応してくれました。彼女は奥のビルの三階にある日当たりの良い角部屋に通してくれました。


部屋は広く、エアコンはありませんが、シングルベッドが二つあり、電気毛布がそれぞれ付いています。しかし、小さい窓には窓が無く、網戸があるけど何処かから足長蜂が4匹ほど入ってきていました。この気温で窓の無い蜂のいる部屋で過ごすのは危険なので、日当たりの良くない窓のある部屋に変えてもらいました。僕たちは、レセプションの女の子にATMの場所を聞いて、街を歩いてみました。


砂を吹き付け塗装したような茶色いボディに、黒い排気ガスを撒き散らすトラックやセダン。道路に歩道はなく、路肩に並んである肥溜めは異臭を放ち、風が吹いたり車が通ると道路に積もった細かい砂が舞い上がる。ボロボロの客車を引く馬車。椅子が取れそうな三輪タクシー。程なくして中国銀行のATMに到着。どの機械からもキャッシングできず、力を落として車が通れない細い路地を帰りました。路地には唾と痰と屠殺したと思われる血、公衆トイレらしき壁、毛の長い可愛い小型野良犬、畑に出ると肥溜め。

僕たちはホテル近くの食堂で、5元の酸辣湯面と、6元の青椒土豆炒飯をたべました。酸辣湯面は小を頼んだのにかなりのボリューム。小麦の卵麺に鶏ガラスープ、少量の酢、肉味噌、高菜、入れ放題のパクチーが入ったシンプルなもので優しい味。青椒土豆炒飯は、細切りピーマンと細切りジャガイモとニンニクが入った炒飯でシンプルで大盛。

腹いっぱいになり、ホテルの部屋で疲れた体を癒しました。

翌日、空港まで送ってもらい、お金も無いまま中国でも有数の広さを持つ昆明空港をさまよいました。

無事チェックインを済ませ、暖房があまり効いていない搭乗ゲートへ。搭乗ゲート前のカフェでVIZAカードが使え、マッシュルームチキンカレーとケーキとコーヒーにありつくことができました。


ラオス ルアンパバーン→中国 昆明 寝台バス


早朝6時に迎えのトゥクトゥクに僕たちは乗り込み、バスターミナルで寝台バスに乗り換え、ルアンパバーンを旅立ちました。

僕はこの旅一番心配していたルートであり、24時間バスの中、しかも雲南省の山道という、聞いただけでゾッとするものです。

寝台バスは三列の二段ベッドがあるタイプで、リクライニングはありませんが、幅の大きな人にはちょっと窮屈かもしれません。

乗客は僕たち以外は中国人と思われます。

ルアンパバーンを出発して3時間、舗装の状態がとても悪い道を通り、踏み固められた土と砂利の上を走るたびに、絶叫マシンのような揺れに襲われます。

シートベルトをして寝ていないと二階から振り落とされそうです。

正午頃、食事休憩の街に止まります。

トイレは有料で、最初の休憩が1000K(13円)、食事休憩が2000K(26円)
値段が高くなるにつれて汚くなります。

食事休憩はバスターミナルであり、食堂は沢山ありますが、見た目が良くなく、大理飯店という中華料理屋さんが一番良さそうで、皆そこに入っていきました。

僕たちは持ち金が少なく、ラスクのようなお菓子ですませました。

そのバスターミナルからの道のりは、滑らかな舗装路で、揺れは無くなりましたが、カーブのきつい山道なので、戻す人が続出していました。

バスの中は、新札のインクの匂いに似た古い衣服の匂い、ハッカの匂い、誰かが食べている柑橘の匂いが充満していました。

中国人のおじさん達は皆、いがらっぽい喉を鳴らし、湿った咳をして痰を吐きます。

見ていると、ティッシュに包んで捨てるという配慮は伺えました。

夕方5時頃、ラオス側の国境に到着しました。

出国審査で中国人は、手に20000K(260円)とパスポートを挟んで審査員に渡していました。しかし、僕たち日本人は必要ないようです。

色んな物資をラオスに援助している日本政府に感謝です。ビエンチャンでは、バスに Supported by Japan 日本の国旗が描かれています。

再びバスに乗り込み、しばらく進むと中国の入国審査です。ここでは、全ての荷物を軍服を着た係員が中身をチェックします。

といっても、軽く手を突っ込む程度。大量の麻薬を発見するのが目的のようです。

入国カードは、機械でオート入力。久々のテクノロジーに触れました。

ラオス→中国陸路では珍しく、中国人バックパッカーの女の子が一人いて、英語で話しかけてきました。黒っぽい上下の服装の中国人男性達の中では、ジーンズに水玉のダウンジャケットは浮いていて、孤独だったのかも。

彼女はクリスと名乗り、タイやラオスを旅して来たようです。年越しのため西安の実家に帰って、その後ミャンマーとインドに行くそうです。

ラオス特有の高床の椰子葉屋根の小屋は無くなり、日本のような家と広大なバナナ畑に景色が変わりました。

道路は凹凸無く、滑らかな直線で、ビルや工事現場も見えてきました。

どうやら高速道路のようで、トンネルを幾つも抜けていきます。

次第に辺りは暗くなり、ウトウトとしていると、知っている英語の単語の会話が後ろから聞こえてきました。振りかえってみると、僕たちの後ろの席の若い男の子二人が英語で会話しています。思わず振りかえって、何処から来たの?と聞くと、中国と言います。彼らは英語の練習をしていたようでした。すぐに夕食休憩でバスは止まりました。

彼らと、クリスと四人でテーブルを囲み、僕たちは手持ちの50元の中から15元のプレートを彼女と二人で食べながら、皆で会話しました。彼らは上海近くの家に帰る所だったようで、昆明で飛行機に乗るらしく、僕たちは昆明で1泊する宿が決まっていなかったので、どこか良い宿がないか聞いてみました。すると、僕たちのためにスマホで宿を調べてくれて、電話までしてくれ、僕のクレジットカードが使えないと、自分のカードで支払いまでしてくれました。彼はバスターミナルにATMがあるからそこで払ってくれればいいと、至れり尽くせりしてくれました。

クリスと彼らも同じ年頃で仲良くなったようでした。

皆バスに戻り、600km以上北にある標高1800mの極寒の地、昆明に向けて順調にゆっくりと走ります。窓の内側には霜が垂れ、外の寒さを物語っています。

僕たちは、心地よく揺れるバスの中で、広大な中国と中国人の温もりに包まれて、何とも言えない安心感の中、熟睡していました。

昆明到着は翌日朝の7時。幾つものトンネルを抜け、雲南省の山々を直線に突き抜けていきました。

深夜、何処かでバスは停車し、エンジンも止まりました。揺りかごの揺れが止まったように、寝苦しくなり浅い眠りの中で長い間夢を見ていました。

イビキや歯ぎしりする人は一人もいません。皆、運転手も静かに寝息を立てていました。

夜明け前、僕は目を覚ましました。横に寝そべったまま、霜で濡れたガラス越しに外を見ていると、次第に明るくなり始め、霞んだ遠くに不気味に佇む高層マンションが見えてきました。

「クンミン‼︎ クンミン‼︎」

ビルは次第に数が多くなり、定刻通り昆明のバスターミナルに到着しました。

僕たちは、土埃でひどく汚れたバックパックを担ぎ、彼らに付いて行きました。バスターミナルは広く、トイレは混雑しています。

昆明の気温は低く、青空屋台で5元の面(麺)の朝食をいただきました。

僕のVISAでは昆明のバスターミナルのATMでは、キャッシングできませんでした。

持ち元45元しかない僕たちは、1人25元の空港シャトルバスに乗りました。お金が足りませんが、心優しいイウェン君が「空港でキャッシングして返してくれればいい」とチケットを買ってくれました。

40分ほどで昆明空港に到着。ATMはあるけどどれもVISAではキャッシングできず、結局イウェン君には日本からお金を送ることに。彼はお金じゃなくて、日本の何か特産が欲しいと言ってくれました。ありがとうイウェン君、かなりお世話になりました。

イウェン君は僕たちのホテルに電話して送迎まで呼んでくれ、後はお金はいらないから、カップヌードルで乗り切ってくれ!と、去っていきました。

僕たちは迎えの車に乗り込み、空港から中心地の真ん中にあるホテル街へ向かいました。その小さな街はビエンチャンより砂埃が多く、寒々しい雰囲気で荒涼としていました。