2013年12月30日月曜日

ラオス ルアンパバーン→中国 昆明 寝台バス


早朝6時に迎えのトゥクトゥクに僕たちは乗り込み、バスターミナルで寝台バスに乗り換え、ルアンパバーンを旅立ちました。

僕はこの旅一番心配していたルートであり、24時間バスの中、しかも雲南省の山道という、聞いただけでゾッとするものです。

寝台バスは三列の二段ベッドがあるタイプで、リクライニングはありませんが、幅の大きな人にはちょっと窮屈かもしれません。

乗客は僕たち以外は中国人と思われます。

ルアンパバーンを出発して3時間、舗装の状態がとても悪い道を通り、踏み固められた土と砂利の上を走るたびに、絶叫マシンのような揺れに襲われます。

シートベルトをして寝ていないと二階から振り落とされそうです。

正午頃、食事休憩の街に止まります。

トイレは有料で、最初の休憩が1000K(13円)、食事休憩が2000K(26円)
値段が高くなるにつれて汚くなります。

食事休憩はバスターミナルであり、食堂は沢山ありますが、見た目が良くなく、大理飯店という中華料理屋さんが一番良さそうで、皆そこに入っていきました。

僕たちは持ち金が少なく、ラスクのようなお菓子ですませました。

そのバスターミナルからの道のりは、滑らかな舗装路で、揺れは無くなりましたが、カーブのきつい山道なので、戻す人が続出していました。

バスの中は、新札のインクの匂いに似た古い衣服の匂い、ハッカの匂い、誰かが食べている柑橘の匂いが充満していました。

中国人のおじさん達は皆、いがらっぽい喉を鳴らし、湿った咳をして痰を吐きます。

見ていると、ティッシュに包んで捨てるという配慮は伺えました。

夕方5時頃、ラオス側の国境に到着しました。

出国審査で中国人は、手に20000K(260円)とパスポートを挟んで審査員に渡していました。しかし、僕たち日本人は必要ないようです。

色んな物資をラオスに援助している日本政府に感謝です。ビエンチャンでは、バスに Supported by Japan 日本の国旗が描かれています。

再びバスに乗り込み、しばらく進むと中国の入国審査です。ここでは、全ての荷物を軍服を着た係員が中身をチェックします。

といっても、軽く手を突っ込む程度。大量の麻薬を発見するのが目的のようです。

入国カードは、機械でオート入力。久々のテクノロジーに触れました。

ラオス→中国陸路では珍しく、中国人バックパッカーの女の子が一人いて、英語で話しかけてきました。黒っぽい上下の服装の中国人男性達の中では、ジーンズに水玉のダウンジャケットは浮いていて、孤独だったのかも。

彼女はクリスと名乗り、タイやラオスを旅して来たようです。年越しのため西安の実家に帰って、その後ミャンマーとインドに行くそうです。

ラオス特有の高床の椰子葉屋根の小屋は無くなり、日本のような家と広大なバナナ畑に景色が変わりました。

道路は凹凸無く、滑らかな直線で、ビルや工事現場も見えてきました。

どうやら高速道路のようで、トンネルを幾つも抜けていきます。

次第に辺りは暗くなり、ウトウトとしていると、知っている英語の単語の会話が後ろから聞こえてきました。振りかえってみると、僕たちの後ろの席の若い男の子二人が英語で会話しています。思わず振りかえって、何処から来たの?と聞くと、中国と言います。彼らは英語の練習をしていたようでした。すぐに夕食休憩でバスは止まりました。

彼らと、クリスと四人でテーブルを囲み、僕たちは手持ちの50元の中から15元のプレートを彼女と二人で食べながら、皆で会話しました。彼らは上海近くの家に帰る所だったようで、昆明で飛行機に乗るらしく、僕たちは昆明で1泊する宿が決まっていなかったので、どこか良い宿がないか聞いてみました。すると、僕たちのためにスマホで宿を調べてくれて、電話までしてくれ、僕のクレジットカードが使えないと、自分のカードで支払いまでしてくれました。彼はバスターミナルにATMがあるからそこで払ってくれればいいと、至れり尽くせりしてくれました。

クリスと彼らも同じ年頃で仲良くなったようでした。

皆バスに戻り、600km以上北にある標高1800mの極寒の地、昆明に向けて順調にゆっくりと走ります。窓の内側には霜が垂れ、外の寒さを物語っています。

僕たちは、心地よく揺れるバスの中で、広大な中国と中国人の温もりに包まれて、何とも言えない安心感の中、熟睡していました。

昆明到着は翌日朝の7時。幾つものトンネルを抜け、雲南省の山々を直線に突き抜けていきました。

深夜、何処かでバスは停車し、エンジンも止まりました。揺りかごの揺れが止まったように、寝苦しくなり浅い眠りの中で長い間夢を見ていました。

イビキや歯ぎしりする人は一人もいません。皆、運転手も静かに寝息を立てていました。

夜明け前、僕は目を覚ましました。横に寝そべったまま、霜で濡れたガラス越しに外を見ていると、次第に明るくなり始め、霞んだ遠くに不気味に佇む高層マンションが見えてきました。

「クンミン‼︎ クンミン‼︎」

ビルは次第に数が多くなり、定刻通り昆明のバスターミナルに到着しました。

僕たちは、土埃でひどく汚れたバックパックを担ぎ、彼らに付いて行きました。バスターミナルは広く、トイレは混雑しています。

昆明の気温は低く、青空屋台で5元の面(麺)の朝食をいただきました。

僕のVISAでは昆明のバスターミナルのATMでは、キャッシングできませんでした。

持ち元45元しかない僕たちは、1人25元の空港シャトルバスに乗りました。お金が足りませんが、心優しいイウェン君が「空港でキャッシングして返してくれればいい」とチケットを買ってくれました。

40分ほどで昆明空港に到着。ATMはあるけどどれもVISAではキャッシングできず、結局イウェン君には日本からお金を送ることに。彼はお金じゃなくて、日本の何か特産が欲しいと言ってくれました。ありがとうイウェン君、かなりお世話になりました。

イウェン君は僕たちのホテルに電話して送迎まで呼んでくれ、後はお金はいらないから、カップヌードルで乗り切ってくれ!と、去っていきました。

僕たちは迎えの車に乗り込み、空港から中心地の真ん中にあるホテル街へ向かいました。その小さな街はビエンチャンより砂埃が多く、寒々しい雰囲気で荒涼としていました。




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