バラナシでは衝撃的な現場を目撃する。ガートを歩いていると、小さな仔犬が同じくらいの大きさと色をした、頭の無い死んだ仔犬の肉を食べていた。おそらく弱くて生きていけなかった兄弟が死んで、他の兄弟の糧になったのだろう。それは当然のことであり、自然のことであるのを悟らせてくれた。頭が無かったのは、既に食べてしまったか、或いは親が食べたのかもしれない。動物は余分に多く産んで、他の動物に食べられる。それは自然の摂理であり、道徳を持つ人間には許されないことなのだろう。しかし母親や兄弟が死んだ我が子を食べることは、食べ物が少ない地域では、あったことなのだろう。もしかするとインドの田舎で食料が乏しい地域では、未だに子喰いは存在するかもしれない。僕たちは、中国、ベトナム、ラオス、インドと旅をしてきて、沢山の野良犬に出会ったが、インドの犬だけがビスケットを食べていた。それ程食料が乏しく、貧しい。しかし、一番動物がバランスよく生きているのもインドだった。ネズミが沢山いるインドでは、猫さえもビスケットを食べるのには驚いた。振り返って考えてみると、色んな事に深い理由があって、僕たちの常識を覆す大きな真理を垣間見れることが多い。
2014年1月23日木曜日
2014年1月18日土曜日
デリー インドラガンジー空港
インドの首都であるデリーはどんなものか、ちょっと中心地へショッピングにでも出てみようと、しかもメトロではなく、ローカルバスで風景なんか楽しみつつ都会を満喫しちゃおうと、インドを舐めてローカルバスに乗り込んだのが運の尽き。段々と増えてくる人人人、荒い運転、座席に座れる筈も無く、ご婦人に強引に押しのけられ、ヌルヌルする手すりにしがみつき、外の気温とは全く違った生温さ。大きな風呂敷を二つ抱えた家族。それでも自分のスペースがあるだけ良かったです。
写真はニューデリー駅からインドラガンディー空港への専用メトロ。ほとんど誰も乗っていません。駅から空港まで15分180Rsでいける、ちょっと割高な特別線です。トイレもきれいで手桶が無く、トイレットペーパーが便器に流せます。
ホテルをチェックアウトして、早めに空港へ行ったのだけれど、このインドラガンディー空港の第三ターミナルはできて間も無く、セキュリティが厳しく、Eチケットだとプリントアウトか端末でのEメールのチェックがあります。自動ドアの脇に立つオリーブのセーターを着てベレー帽を被ったセキュリティの人のチェックポイントは、フライトの日付、出発地、到着地、出発時刻、名前のパスポートとの照合であり、混雑を避けるため、6時間前にチェックインカウンターのあるフロアに入れます。そのスペースには、横になれる椅子や、軽食が食べれるカフェがあります。チェックインが終わり、出国手続きが終わると、驚きの広さと品揃えの免税店が待っていて、登場手続きまでの3時間などあっと言う間でした。
2014年1月16日木曜日
バラナシ→デリー 寝台特急
長かったバラナシでの生活も終わりになります。しめて3回うんこを踏みました。どれだけカッコつけて文章を書いても、ここでは笑いに変わります。さようなら、うんことシッコ…
バックパックを担ぎ、狭い路地をサヨナラと言いながら抜け、サイクルリクシャの誘いを振り切り、流しのオートリクシャに乗り込み(80Rsで駅まで行ってくれました)、駅前で寝転んだり座り込んでいる人が大勢いるバラナシ駅に到着。ザックを降ろし、時間まで待っていると、興味津々に珍しい日本人を皆凝視します。そのうちに、英語に自信のある教師の方が話しかけてきますが、所々発音がわからなくて、彼からもJAPANを何度も聞かれました。話していると、子供三人連れのファミリーや、お爺さんも集まってきて、話したそうにしていましたが、ヒンドゥー語ができないとわかったのか、英語がわかったのか、何処かに行ってしまいました。
お昼初の列車は予定通り出発。相変わらず北インド全てがガスに包まれて、天竺雰囲気を醸し出しています。
今回の車両は、前回に比べて綺麗でちょっと新しい感じです。窓の外も写真のようにギリギリ見えます。乗客も少なく、僕たちの前は空席でした。間も無くしてスズキでエンジニアをしている出張中の方が前の下段に座り、ポテトチップをご馳走してくれました。彼はラクナウで降り、そして怒濤の如く車両は満席になりました。晩飯を探しに別の車両を探検してみると、同じA/C 2TIERがもう一両あり、その向こうに三部屋の一等寝台があります。ちょっと覗いてみると、なかなかゴージャスなベルベット生地のシートが広く向かい合わせていて、家族や友人で貸し切りたい感じです。一方、A/C3TIERというエアコン付き三段寝台車両は、中国と同じく賑やかで、ゴミは散乱し密度が高いです。昔地獄を見たエアコン無し寝台を覗いてみると、楽しそうな雰囲気は無くなり、皆暗い表情。それもそのはず、窓は閉まらない所と空かない所があり、この時期は列車が走っているときの体感温度はかなり低く、ブランケットもありません。
食堂車はありませんが、厨房の車両があり、野菜カレーか卵カレーを届けてくれるそうです。野菜カレーを注文すると、トレーに四角いアルミホイルが三つと機内食のようなパックされた水を持ってきてくれました。ダルと野菜カレーとご飯とチャパティ。僕のインド料理のイメージ通りの唐辛子辛く素朴な味でした。僕たちは日本で食べるような高級なインド料理しか口にしていない事に気付きました。一般的なインド料理はレンズ豆を煮込んだ薄い味のダルスープと、野菜とニンニク生姜を炒め、スパイスをちょっと入れた簡素なおかず、安くてパサパサのバスマティ米とチャパティです。一般があまり裕福ではないインドの人々、野菜さえ豊富ではないので、豆とジャガイモと米が毎日の食事でしょう。冬の夜は薄い化学繊維のブランケットで身体を包み、虫やネズミと戦いながら身体を休め、凍死する人も少なくないでしょう。毎朝昇ってくれる太陽の暖かさに感謝して喜び、明るく元気に沐浴できる喜びを味わえるでしょう。夏は50度を超える日もあるそうで、エアコンはもとより、天井のファンさえ、いや電気さえ、屋根さえ無い家庭も多いでしょう。現実は見えないけど、ひしひしと伝わってきます。僕たちは分厚い毛布にフカフカのマットレスのベッドでも寒いからと、持参した寝袋でぬくぬくと熟睡するのが当たり前になっています。
向かいの席の大きなおじさんと、おばさんのイビキが、これまで聞いたことも無いような凄まじい音を出していて目が覚めました。さらに上、下、横、後ろから他の人のイビキがサラウンドで、負けまいと競って大きな音を出しているようです。極めつけに力を込めたオナラをお見舞いされ、それまでの怒りが一転して笑いに変えられました。
予定より4時間ほど遅れてデリーに到着。20時間ほど列車の中でしたが、バスより快適です。ニューデリー駅前のファーストフードで軽く食事し、メトロで予め予約していた空港横のユーロスターインターナショナルというホテルへ何事もなく到着。
2014年1月14日火曜日
愛して止まないインドのバラナシ
殆ど何もせず過ごしたバラナシ滞在が終わろうとしています。明日からデリーに列車で16時間かけて行き、2日後にデリーから上海まで飛び、上海で12時間待った後、帰国します。長いようで短かった旅もようやく終わろうとしていますが、何か得るものがあったのでしょうか?とりあえず、チャイの味は充分わかりました。そして、やっぱり僕はバラナシが一番好きだったという事実。一緒に旅してくれた彼女の大事さ。これからもずっと一緒に旅して行こうと思った事。
2014年1月9日木曜日
休まず燃やし続ける屍は来世で福を得る
火葬場の階段を登ったところにある建物でぼーっと死体が燃えるのを眺めていると、この子が下の牛に石を投げていました。小学生並みのイタズラと意地悪が大好きなインド人。僕としばらく遊んでくれました。この子の左に写っているのは牛糞の山。この子の後ろで露店の料理を作っています。火葬場の写真撮影は禁止されているので写真はありません。昔は燃やす事が出来ない死体が川に浮いて、カラスが死体に乗って死肉をついばんでいたのに、今は全然見当たりません。余りにも衝撃的すぎてクレームがあったのでしょうか?相変わらず、パーン(檳榔という覚醒作用のある椰子科の木の実と石灰をキンマの葉で包んだ趣向品)や、グトゥカー(これも檳榔の顆粒)を口の中に溜めて、こぼさないように喋るおじさん達。この檳榔は飲み込んではいけないので、しばらく口の中に溜めていて、赤茶色の液を吐き出します。街の壁や排水溝は赤茶色に染まり、汚さをより一層強くします。ここシヴァ神のメッカであるバラナシのガートを歩いていると、インドらしいヒンドゥーの人々の生活を肌で感じることができます。
ボートマンカースト
カーストは職業別に細かく分かれていて、「ボート屋」という苗字になるようです。彼らはリクシャと同じく、低所得者なので、副業として大麻売り、シルクパシュミナ店の紹介手数料で細々と稼いでいます。僕たちは今回一度もボートに乗っていません。ガンガーからの壮大なガートのパノラマ写真を撮りたいのですが、彼らの血眼のセールストークに引いてしまいます。それにこの時期は寒くて、じっとボートに座るなんてとんでもなく、対岸へ連れて行かれて金品を要求されるかもしれません。相場は1時間1人50Rs(85円)から。
マッサージマンカースト
メインのダシャシュワメードガートで声をかけてくるマッサージ屋のおじさん。握手を求められ、手を握るとその手を勝手に揉み始めます。ここインドでは、セールスマンが握手を求める事が多く、お尻を手で拭いている人達と握手したくなければ、手を合わせてナマステ〜と返しましょう。中には女性に触りたいだけのインド人も多いので、握手は避けたいです。「握手ぐらいしろよー!」と日本語で言われたりしますが、無視しましょう。
Ganpati Guest House in Varanasi India
ガンパチ ゲストハウス
一泊1200Rs(2040円)から
カルカッタでフランス人に聞いた、お勧めのゲストハウス。清潔でバスルームにカビなど殆ど無く、インテリアが可愛いので、カップルや家族に最適。
最初の二日間は、窓のない部屋に泊まったけど、昼か夜かわからず、気分が晴れないので変えてもらうことに。
変えてもらった部屋は、本館から30mほど離れたビルにあり、面白い造りでバルコニーがあり、窓が三面にあり、道路の上にバスルームがあるとても良い部屋。屋上からはガンガーが一望でき、近所の家の屋上にいる子供がハロー!と声をかけてくれます。このゲストハウス周辺には、美味しいレストランが数少ないので、食事に苦労します。ホテルに併設されたレストランは割高で屋上なので寒いので、僕たちは持ってきていたSOTOのムカストーブを使って自炊にトライしました。といっても、八百屋でグリーンピースとパクチーと、インスタントカレー焼きそばを買い、コンロで茹でる程度。駄菓子屋のような商店で売ってる即席パスタ(20Rs)も美味しかったです。カルカッタではWi-Fiが乏しく、レセプションでしか出来ない事が多かったですが、この部屋ではベッドに入って、バッチリWi-Fiできます。
これは道路の上の渡り廊下。一旦部屋から出て、廊下の向こうのバスルームにいきます。洗濯物を干せるスペースも充分あります。
アメージング摩訶不思議バラナシリバーサイド
バラナシでは、ボートがリクシャの代わりに交通手段となっています。ガートという沐浴場を歩いていると、必ず声をかけられます。
スターウォーズの惑星タトゥーインの舞台のような、バラナシのガート。写真で見るのは綺麗ですが、道は車輪に轢かれた牛の糞や、人間の小便、そこら中に捨てられた生ゴミ、それを貪る山羊たち、幅2mくらいの石畳の道を人やバイクが行き交う中、彷徨う仔犬たち、その横で揚げ物やヨーグルトを売る小さなストリートフードの店。匂いは牧場のような匂いとお香の香りで、不思議と気になりません。夏場は酷そうですが。夕方になると屋上で凧上げに夢中になる男たち、鳩レースの練習に奇声をあげて鳩を操る男たち、随所にあるヒンドゥー寺院では毎晩のように歌って、楽器を鳴らして、音楽を鳴らすセレモニーが行われ、寺の前で花と蝋燭を売る少年。
こんなに汚くて、お節介で、騒がしくて、自分本位なのに、今まで通ってきた国や地域とは、桁外れに愉快で楽しいのは何故だろう。部屋でリラックスしようとしても、色んな気になる音がして、バルコニーに出てみると、色んな気になる目に入るものが多くて飽きさせない。でも全ての営みが夜の10時には、ピタッと止まって皆寝静まる。朝は6時くらいから騒がしくなる。
PUJA Guest House Varanasi India
プジャゲストハウス、ガンガービューの部屋1500Rs(2550円)からの風景。
バラナシは猿の楽園。ハヌマーンという猿の神様がいるので猿は大事にされます。部屋のバルコニーは頑丈な柵で囲まれ、猿の侵入を防ぎます。すぐ目の前まで近づいて来て何か食べ物をくれるのを待っています。僕たちがビスケットをあげようとしたら、向かいのビルの住人からダメ!と遮られました。
結構な高さがあるプジャゲストハウスは、急で幅の狭い階段を登るのが辛いですが、絶景と満足できるホットシャワーが嬉しいです。
2014年1月7日火曜日
ヒンドゥーの聖地へ
14年ぶりに来たバラナシは、大きく変わらず、しかし小さな部分が少し変わっていた。相変わらず路地には牛や犬や山羊が闊歩しており、糞を避けて通らなければ前へ進めません。火葬場であるマニカルニカガートでは、休むことなく死体が焼かれ、日本語で声をかけてくる怪しいインド人が、何処かへ連れて行こうと必死になり、ダシャシュワメードガートでは、握手を求めてくるおじさんが、その手を勝手にマッサージしだし、肩を勝手に力強く指圧してきます。この時期はガンガーの水が少ないので、川沿いに歩くことができます。
僕たちは、バラナシ駅へ降りた途端にオートリクシャという三輪バイクの運転手に声をかけられ、100Rs(170円)で街まで行くというので、そのオートリクシャに乗り込みました。
彼はホテルの客引きも兼ねているらしく、ミシュラというゲストハウスに連れて行こうとします。僕たちはプジャという老舗のゲストハウスにまず空室を確認してから、彼お勧めのゲストハウスを見てみるつもりでした。オートリクシャ運転手の彼は親切にプジャゲストハウスに電話してくれました。僕が電話に代わると、「イエス、プジャゲストハウス」と言ったので空室はあるかと尋ねると「満室」と電話の相手は言いました。僕たちは変な直感が働き、オートリクシャ運転手のおじさんのしつこいキャッチを押し切り、プジャゲストハウスに到着すると、空室は結構ありそうです。おじさんは自分の友達に電話して、プジャゲストハウスを名乗らせたのでした。こんなキャッチはインドではごく当たり前で、色々な手を使ってルピーを稼ごうと皆必死です。
コルカタ→バラナシ DOON EXPRESS 2A
アフリディ インターナショナル ゲストハウスをチェックアウトし、20:30ハウラー駅初バラナシ行き寝台特急の時間まで、サダルストリートの人気チャイ屋で暇を潰しました。チャイ屋が三軒並ぶその路地は、今日も賑っていました。10歳の少年が働いているチャイ屋があって、小さくて細い身体を使って一生懸命働くその姿と、となりのお菓子屋で貰った、キンダーというチョコエッグ風のお菓子のオマケが載った外箱をずっと眺め、店に飾る仕草に僕と彼女は心を打たれ、こっそり35Rs(60円)のキンダーを買い、手に握って渡す機会を伺いました。その少年は食器を下げるときにチラリと手に握ったキンダーを見て、最後に自分から「わあ、キンダーだ!僕にくれるの?ありがとう!」と言ったのでプレゼントすると、嬉しそうに歓喜の声をあげ、僕たちが帰るまでオマケから目を離しませんでした。
ホテルのある通りには、ムスリムのモスク(お祈り場所)があり、クルタを着た沢山のムスリムが行き交います。僕たちはビルのへりに腰掛けて、時間まで待っていると、初日に声をかけてきたキャッチと思われるヒンドゥーの青年が、僕たちとずっと話しをしてくれました。彼は僕たちを掴めないと分かっていながら付き合ってくれた最後のインド人でした。そのうち、インドの刺激に興奮して喋りまくる1人の日本人青年が現れると、つまらなさそうにしていたヒンドゥー青年は軽く挨拶して最後の別れになりました。彼は僕たちの連絡先が欲しかったのでしょう。
ホテルから頼んだ割高のタクシーに乗り込み、混雑し混沌となったハウラー橋を渡ってハウラー駅に到着しました。ハウラー駅は20以上の乗り場がある大きな駅で、沢山の人が利用できます。僕たちはザックを背負って、始発駅であるハウラー駅のフォークのようになったレーンを前の方へ歩きました。小腹が空いたので、キヨスクみたいな売店で買ったチキンパイがとても美味しく、歩きながら全部食べてしまいました。よいタイミングで列車がレーンに入り、僕たちは指定の車両に乗り込みました。わざわざチケットをキャンセルまでして変えてもらった、この列車で一番高級な車両に入ってみてビックリ。勝手な想像に反して物凄くボロボロでした。窓は黒いフィルムというより、黒い透明の塗料で塗ったような濁り具合で、暗い外は殆ど見えません。二段ベッドの上段は大きな鎖で吊り下げられ、鎖には合皮の使い込まれたカバーがしてあり、窓際にあるテーブルサイドには、自転車のドリンクホルダーのような、傾いた水置き。荷物は下段の席の下に押し込み、盗難防止用のワイヤーが付いていました。
寝台列車特有の薄暗い蛍光灯の下で、持参していた南京錠をザックにかけました。向かいの席には、風邪をひいてから咳をしている大きな御婦人と、その息子。息子は20代くらいで大きな体格です。程なくしてセーターを着たおじさんが夕食の注文をとりにきて、チキンビリヤニ(60Rs)を一つ注文しました。味は薄く、塩が足りない感じでしたが、全部食べることができました。座席には、シーツ二枚、ブランケット、枕が付いていて、自分でセットします。この車両には、一人の日本人を除いて外国人らしき人は見当たりませんでした。もっとも、バングラデシュ人とインド人の区別はできませんが。列車は遅れることなく定刻通り発車し、僕たちはコルカタを後にしました。車両内は全て禁煙で、トイレは古いですが掃除されていて、芳香剤の香りがしました。シャッターが下ろされ、クラスが下の寝台車両には行くことができません。チケットをチェックする車掌は、ニット帽にアーガイルのベストを着たおじさんで、乗客と見分けができません。そういえば、僕たちが行くレベルのレストランでは、制服を着た人は殆ど居なく、料理に髪の毛が入っていることは珍しくありません。間も無く皆寝静まると、僕たちもシーツをひいて床につきました。が、向かいのおばさんの咳ばらいが物凄くて眠れません。なぜ、他の席は静かなのに僕たちの席だけ??必死に暗闇の中で耳栓を探しても見つからず、朝方耳栓を見つけて彼女と一つづつ使いました。流石インド列車、ハイクラスでも地獄を垣間見れます。
2014年1月2日木曜日
"There is only one" MAC in Kolkata
ロンドンやニューヨークのような、古い建築が立ち並ぶパークストリートにあるマクドナルド。この旅初のご当地マック「チキン マハラジャ マック」を注文。ポテトとコーラのセットで219Rs(372円)
マハラジャマックはバンズがボロボロで、チキンはティッカ(コロッケ風)でそんなにマハラジャ感は無かったです。でも、フライドポテトは物凄く美味しかったです。日本とはジャガイモが違う感じです。
明けましてナマステ2014
ホテルの裏手、僕たちの部屋の窓側にある空き地では、大音量の音楽でムスリムの少年達がニューイヤーズパーティを催していました。朝まで続くのかと心配していたら、新年を迎えた数発の花火の後、パーティは幕を閉じました。大晦日はパークストリートという高級店街で盛大なパーティがあるらしく、皆タクシーやオートリクシャで渋滞を作っていました。平日のニューマーケット周辺でさえお祭り騒ぎなのに、人ゴミが嫌いな僕たちは、恐ろしくて近づけませんでした。
写真は、年越しビリヤニと、スパゲッティ、チキンティッカ、コロッケ
インドに来て既に一週間が経ちました。コルカタの見所はニューマーケットですが、ニューマーケット内部は閑散としていて、周辺のファッションビルの方が活気があります。僕はホテル近くのお気に入りのチャイ屋の壁に作られた長椅子に座って、隣の人と会話するのが楽しみでした。多くの話しかけてくる人はキャッチや物乞いですが、彼等とたわいもない会話するのも楽しいものです。全ての人がキャッチではありません。東洋人に興味があって話しかけてくる旅行中のバングラデシュ人も多くいます。見た目で判断して、はなから無視するのでは無く、彼等の目的をよく聞いてみましょう。ただの観光客で、あなたに興味を持って話しかけてくる人を無視すると失礼です。全てを拒否しては勿体ないです。
一週間滞在すると、このストリートの色々な人間関係がみえてきます。このコルカタにはムスリム(イスラム教徒)が多く、ヒンドゥーと対立し、同じ場所に共存していて、お互いに罵りあっています。
コルカタ→バラナシ列車予約@Eastern Railway Tourist Office
そこらじゅうで、立って用を足すインド人男性。どこにいってもゴミだらけの街。ティッシュで鼻を掃除すると真っ黒の粉が取れる汚れた空気。哀れさも感じなくなるほど、耳が無かったり口や頭に傷を負ったボロボロの犬たち。殆んどが男性の街中。
タクシーで50Rsの距離を歩き、昼過ぎにオフィスに着きました。このオフィスは、外国人ツーリスト専用の予約オフィスで、駅で並んでチケットを買う必要がありません。番号の書かれた予約用紙をもらい、椅子が置かれたオフィスで番号を呼ばれるのを待ちます。係員が面接して、ツーリストの希望に沿った席を探してくれます。地球の歩き方にも載っているので、日本人が多く番号の進行具合を教えてもらえます。僕たちは約2時間ほど待って番号を呼ばれました。待ち時間は表の歩道に沢山の露店があるので色々買い食いできます。
ナディアは30日にバラナシで友達と待ち合わせしているので、29日の空席が必要でした。その日はエアコン無しの2等寝台しか空いてなく、渋々その席を予約しました。エアコン無し2等寝台は窓が閉まりません。ディーゼル車なので、廃棄ガスで目や鼻や服が真っ黒になります。一人旅の若い日本人は500円ほどで寝台が取れたと喜んで、冬にエアコンは寒いでしょうと言っていました。バラナシまで10時間。インドの列車は始発駅であっても何時間も遅れます。駅のホームでひたすら待つしかありません。席を持たない人が他の車両に移れないように車両を移動できません。窓から侵入できないように、窓には頑丈な鉄格子が嵌められています。まるで収容所に送られる護送列車のように。クラスによって快適さが違うインド列車を侮っているスロベニア人のナディア。
僕たちはホテルに帰って冷静に考えて、次の日キャンセルしてクラスを上げることにしました。キャンセル料は2日前だと70%ほど返金されます。ナディアには悪いけど、僕たちは1/2のエアコン2等寝台、3段ベッドではなく、2段ベッドの席を三倍ほどの料金で再予約しました。寝台の3段ベッドは一番上のベッドがそのままで、朝になると2段目のベッドが畳まれ、一番下の背もたれに変わります。一番下には2段目と3段目の人が座り、更に沢山乗ってくる短距離の人が座るので、三人席に五人座ることもあります。僕が昔乗ったエアコン無し2等寝台では、網棚に寝る人がいたり、トイレに寝る人がいてトイレが使えなかったり、良い印象がありません。
Hotel Maria Kolkata India
4mほどの高さの天井。三つあるベッドの一つは長年洗っていないような、黒ずんだシーツと枕カバー。カビだらけの天井。かろうじて使用できる便座が毛羽立ったトイレ。シャワーヘッドの無い、上から落ちる水道。閉めようと窓枠を触ると、外の埃が積もった閉められない窓。最初から窓がないトイレの窓。いつ掃除したのかわからない床。でも、日当たりは良く、雨はしのげ、湿っぽくなく、虫もあまり居ないようです。
ガイドブックにも載っている有名な安宿、ホテル マリア。立地はとても良く屋上には色んなペイントや落書きが昔ながらのヒッピー宿の歴史を物語っています。
僕たちは、荷物を部屋に置き、夜のサダルストリートへ出て見ました。マリアの大きな鉄の扉の前では、歩道に小屋が建てられ、コンクリートブロックに板を置いた簡易的なカフェがあり、欧米人のスタッフがフレンドリーに旅行者を導いてくれます。そこに腰掛けると、色んな勧誘の人が現れます。
「どこから来た?いつ来た?いつまでいる?インドは始めて?日本はどこからだ?東京?大阪名古屋?明日案内してやるから待ち合わせしよう。一緒に食事しよう。何時にする?」
このやりとりを全てのキャッチセールスマンと繰り返します。ガイドブックに載っている通り、初日に声をかけてくる殆んどの人がキャッチセールスマンであり、一人旅の日本人男性をターゲットにしています。彼らの目的は自分のペースに乗せて、相手の財布の中身を狙います。彼等自身そういう行為を「チーク」と呼んでいます。
この外で寝るのと変わらない部屋で、僕たちはこの旅初のテント設営を行いました。テントとスリーピングマットとシュラフがあれば、コックローチも、蚊も、南京虫も怖くありません。重い思いをして持ってきた甲斐がありました。こんな経験が一番記憶に残ることでしょう。
明朝10時にマリアをチェックアウトし、アフリディインターナショナルに引っ越します。
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