14年ぶりに来たバラナシは、大きく変わらず、しかし小さな部分が少し変わっていた。相変わらず路地には牛や犬や山羊が闊歩しており、糞を避けて通らなければ前へ進めません。火葬場であるマニカルニカガートでは、休むことなく死体が焼かれ、日本語で声をかけてくる怪しいインド人が、何処かへ連れて行こうと必死になり、ダシャシュワメードガートでは、握手を求めてくるおじさんが、その手を勝手にマッサージしだし、肩を勝手に力強く指圧してきます。この時期はガンガーの水が少ないので、川沿いに歩くことができます。
僕たちは、バラナシ駅へ降りた途端にオートリクシャという三輪バイクの運転手に声をかけられ、100Rs(170円)で街まで行くというので、そのオートリクシャに乗り込みました。
彼はホテルの客引きも兼ねているらしく、ミシュラというゲストハウスに連れて行こうとします。僕たちはプジャという老舗のゲストハウスにまず空室を確認してから、彼お勧めのゲストハウスを見てみるつもりでした。オートリクシャ運転手の彼は親切にプジャゲストハウスに電話してくれました。僕が電話に代わると、「イエス、プジャゲストハウス」と言ったので空室はあるかと尋ねると「満室」と電話の相手は言いました。僕たちは変な直感が働き、オートリクシャ運転手のおじさんのしつこいキャッチを押し切り、プジャゲストハウスに到着すると、空室は結構ありそうです。おじさんは自分の友達に電話して、プジャゲストハウスを名乗らせたのでした。こんなキャッチはインドではごく当たり前で、色々な手を使ってルピーを稼ごうと皆必死です。
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