アフリディ インターナショナル ゲストハウスをチェックアウトし、20:30ハウラー駅初バラナシ行き寝台特急の時間まで、サダルストリートの人気チャイ屋で暇を潰しました。チャイ屋が三軒並ぶその路地は、今日も賑っていました。10歳の少年が働いているチャイ屋があって、小さくて細い身体を使って一生懸命働くその姿と、となりのお菓子屋で貰った、キンダーというチョコエッグ風のお菓子のオマケが載った外箱をずっと眺め、店に飾る仕草に僕と彼女は心を打たれ、こっそり35Rs(60円)のキンダーを買い、手に握って渡す機会を伺いました。その少年は食器を下げるときにチラリと手に握ったキンダーを見て、最後に自分から「わあ、キンダーだ!僕にくれるの?ありがとう!」と言ったのでプレゼントすると、嬉しそうに歓喜の声をあげ、僕たちが帰るまでオマケから目を離しませんでした。
ホテルのある通りには、ムスリムのモスク(お祈り場所)があり、クルタを着た沢山のムスリムが行き交います。僕たちはビルのへりに腰掛けて、時間まで待っていると、初日に声をかけてきたキャッチと思われるヒンドゥーの青年が、僕たちとずっと話しをしてくれました。彼は僕たちを掴めないと分かっていながら付き合ってくれた最後のインド人でした。そのうち、インドの刺激に興奮して喋りまくる1人の日本人青年が現れると、つまらなさそうにしていたヒンドゥー青年は軽く挨拶して最後の別れになりました。彼は僕たちの連絡先が欲しかったのでしょう。
ホテルから頼んだ割高のタクシーに乗り込み、混雑し混沌となったハウラー橋を渡ってハウラー駅に到着しました。ハウラー駅は20以上の乗り場がある大きな駅で、沢山の人が利用できます。僕たちはザックを背負って、始発駅であるハウラー駅のフォークのようになったレーンを前の方へ歩きました。小腹が空いたので、キヨスクみたいな売店で買ったチキンパイがとても美味しく、歩きながら全部食べてしまいました。よいタイミングで列車がレーンに入り、僕たちは指定の車両に乗り込みました。わざわざチケットをキャンセルまでして変えてもらった、この列車で一番高級な車両に入ってみてビックリ。勝手な想像に反して物凄くボロボロでした。窓は黒いフィルムというより、黒い透明の塗料で塗ったような濁り具合で、暗い外は殆ど見えません。二段ベッドの上段は大きな鎖で吊り下げられ、鎖には合皮の使い込まれたカバーがしてあり、窓際にあるテーブルサイドには、自転車のドリンクホルダーのような、傾いた水置き。荷物は下段の席の下に押し込み、盗難防止用のワイヤーが付いていました。
寝台列車特有の薄暗い蛍光灯の下で、持参していた南京錠をザックにかけました。向かいの席には、風邪をひいてから咳をしている大きな御婦人と、その息子。息子は20代くらいで大きな体格です。程なくしてセーターを着たおじさんが夕食の注文をとりにきて、チキンビリヤニ(60Rs)を一つ注文しました。味は薄く、塩が足りない感じでしたが、全部食べることができました。座席には、シーツ二枚、ブランケット、枕が付いていて、自分でセットします。この車両には、一人の日本人を除いて外国人らしき人は見当たりませんでした。もっとも、バングラデシュ人とインド人の区別はできませんが。列車は遅れることなく定刻通り発車し、僕たちはコルカタを後にしました。車両内は全て禁煙で、トイレは古いですが掃除されていて、芳香剤の香りがしました。シャッターが下ろされ、クラスが下の寝台車両には行くことができません。チケットをチェックする車掌は、ニット帽にアーガイルのベストを着たおじさんで、乗客と見分けができません。そういえば、僕たちが行くレベルのレストランでは、制服を着た人は殆ど居なく、料理に髪の毛が入っていることは珍しくありません。間も無く皆寝静まると、僕たちもシーツをひいて床につきました。が、向かいのおばさんの咳ばらいが物凄くて眠れません。なぜ、他の席は静かなのに僕たちの席だけ??必死に暗闇の中で耳栓を探しても見つからず、朝方耳栓を見つけて彼女と一つづつ使いました。流石インド列車、ハイクラスでも地獄を垣間見れます。
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