2013年12月30日月曜日

Afridi International Guest House


サダルストリートの裏手の細い路地に新館をオープンしたアフリディ インターナショナル ゲストハウス

ホテル ゴールデンアップルの姉妹店のようです。


三階以上の南側の部屋は日当たりがよく、清潔でとても気に入りました。


ホットシャワーはホットな時間が短いけれど、一旦水を止めるとまた暖かくなり、ギリギリ身体を洗うことができます。なにより嬉しいのは、近所で有名なレストラン「ブルースカイカフェ」の出前がとれ、ランドリーサービスがあること。隣のビルからインド歌謡が窓越しに聴こえてきます。レセプションにしかWi-Fiがありません。

Afridi International Guest House
アフリディインターナショナルゲストハウス
ダブルベッド 995Rs

3, Cowie Lane, Kolkata - 700016
+91 33 6607 7525/2252/0085



ワクワクワンダーランドへ突入‼︎


コルカタ空港に降り立った僕たちは入国審査を通り、そこで知り合ったナディアというスロベニア人と3人で、プリペイドタクシーにシェアして乗ることに。僕たちは現金を持っていなかったので、ナディアに立て替えてもらい、またしても空港で現金を下ろせなかったATMを探しに、そして予約無しでホテルを探しにコルカタで有名な、悪名高き安宿街、サダルストリートへ向かいました。


サダルストリートまでは、タクシーで40分ほど。プリペイドタクシーで250Rs(425円)。

コルカタ空港は、13年前に訪れた空港とは全く違い、近代的で清潔で、明るく、空港の中の入国出口まで名前入りのカードを持ったピックアップの人達が全くいません。ホテルやタクシーの群がる客引きも全くいません。

コルカタのタクシーは、イギリス車のローバーに良く似たアンバサダーというインド国産車。このクラシックでブリティッシュな黄色いタクシーと、ミッドセンチュリーなデザインの英語サイン、ブリキのおもちゃのようにカラフルにペイントされ、ボロボロで満員の公共バス、乱れ鳴らすクラクション、街全体に散乱するゴミ、目が会い笑顔を投げると帰ってくる人々、心地よい気温にも関わらず井戸の水を浴びる人達、街に流れるインド歌謡。久しぶりのインドのスパイスは、僕の心を躍らせ、叫びたくなるほど興奮し、感動しました。やはりインドは今までに訪れたどの国よりも、ダントツレベルに刺激的でカッコよく、可愛くて、優しく、時には厳しく、シャンティなワンダーランドです。

目的地のサダルストリートに到着した僕たちは、ナディアがチェックしていたゲストハウスを尋ねると、二つの部屋があるとのこと。部屋を見せてもらうと、インドとは思えないほどの清潔さと高級感。もう一つの部屋は古い建物で湿気が立ち込め、薄暗くカビだらけ。綺麗な方の部屋をナディアに譲り、僕たちのザックを部屋に置かせてもらい、次の日に宿泊できるように予約を取って、宿探しに出かけました。

先ずは現金を手にしないと何もできないのでATM探し。サダルストリートの人にATMの場所を尋ね、行ってみると電話ボックスのようにドアのあるATMがありました。入ってみるとWindows XPの起動画面でフリーズしている様子。ATMってウインドウズで動いてるんだ(笑)。近くのもう一つのATMでは、昔の一万円札大のインドルピーが出てきて感動しました。

サダルストリート横にあるニューマーケットという、コルカタ最大の市場周辺は原宿に似ていて、歩くのが困難なほど人が溢れ、インド人の多さに圧倒されます。僕たちはRUCHIKAというレストランに飛び込み、遅い夕食にインド初のベンガル料理を堪能しました。

注文したのは、パラックパニール、ダルフライ、チキンカレー、ナン、ほうれん草のクリームスパゲッティ。パラックパニールは、ほうれん草とカッテージチーズのカレーなのに、来たのはカッテージチーズとグリーンピースのカレー。そんなに辛くなく、そんなにスパイシーでもなく美味しい。ダルフライはレンズ豆のサラサラ黄色いスープ。スパゲッティは塩が足りないくらいあっさり味。どれも美味しかったです。たらふく食べて、残しちゃって3人で490Rs(833円)。

次はゲストハウス探しにサダルストリートへ戻り、適当に色んなホテルで空きを聞いてみると、三軒くらい満室。さらに歩いていると日本語を話す20代くらいのインド人男性が話しかけてきて、空いている清潔なホテルを探してやるからついて来いと。が、四軒聞いて見て全て満室。最後のホテルは空きが一室あったものの、値段が高くて(3500Rsくらい)部屋が見合っていない。最後のホテルだけは、そのインド人がカウンターまで入っていった。?と思ったので、「自分達で探す、ありがとう」と言って別れた。彼はたぶん、ロイヤリティをホテルから貰えるのかも。ちょっと歩いて目に入ったホテルで空室を尋ねると満員。このホテルの系列か紹介できるホテルは無いか?と尋ねると、ボーイが連れて行ってくれた先は先程の3500Rsの高級ホテル。1500Rsだとボーイが言い、さっきの日本語を話す男性は2000Rs儲けることに気付く。疲れたので、とりあえずナディアのホテルに戻ることにしました。

サダルストリートのホテルやゲストハウスはどこも満員。それは涼しく、エアコンが要らないハイシーズンだから。僕は二人をホテルに置いて単独でホテル探しに。いきなり声を掛けてきた、脚の悪そうな小さいインド人のお爺さん。「アナタ ドコイキマスカ? イマワ ハイシーズン ダカラ ドコモ イッパイネ」となかなか上手な日本語を話し、5軒ほどのホテルに連れて行ってくれましたが、どこも満室。ただ一軒だけホテル マリアは空室があるということで、部屋を見せてもらうことに。ホテル マリアはサダルストリートに面した老舗の有名ホテル。建物が古いので、外観は酷いもの。レセプションには鉄格子が嵌めてあり、通されたのは屋上の共同シャワートイレの一室。300Rs(510円)と安いのだが、共同シャワートイレはちょっと… と言うと、700Rsでシャワートイレ付きの部屋があるとのこと。見せてもらうと、収容所のような廊下に3m位の高さで、大きな南京錠がついたドアがあり、天井の高さが倉庫のように高い部屋。その部屋は壁をピンクと白に塗り替えてあり、清潔に感じたので彼女を呼んでくる事にしました。

ザックを背負って再び戻ると既に客が入ったと言われ、他の部屋を見せてもらうことになり、見せてもらった部屋は一階で、今までに見たこともない位のカビに囲まれた部屋… 断ると二階の700Rsの部屋を見せてくれ、結局その部屋にすることになりました。

最初に酷いもの見て、次にそこそこの
ものを見ると、結構良いと感じます。サダルストリートでは、そういう姑息な手を使う商人を良く見ます。

雲南省 昆明 天瑞酒店


天瑞酒店は、昆明空港から車で20分の位置にあり、二つのビルが繋がった部屋数の多いホテルです。レセプションの女の子は、少し英語を話すことができて笑顔で対応してくれました。彼女は奥のビルの三階にある日当たりの良い角部屋に通してくれました。


部屋は広く、エアコンはありませんが、シングルベッドが二つあり、電気毛布がそれぞれ付いています。しかし、小さい窓には窓が無く、網戸があるけど何処かから足長蜂が4匹ほど入ってきていました。この気温で窓の無い蜂のいる部屋で過ごすのは危険なので、日当たりの良くない窓のある部屋に変えてもらいました。僕たちは、レセプションの女の子にATMの場所を聞いて、街を歩いてみました。


砂を吹き付け塗装したような茶色いボディに、黒い排気ガスを撒き散らすトラックやセダン。道路に歩道はなく、路肩に並んである肥溜めは異臭を放ち、風が吹いたり車が通ると道路に積もった細かい砂が舞い上がる。ボロボロの客車を引く馬車。椅子が取れそうな三輪タクシー。程なくして中国銀行のATMに到着。どの機械からもキャッシングできず、力を落として車が通れない細い路地を帰りました。路地には唾と痰と屠殺したと思われる血、公衆トイレらしき壁、毛の長い可愛い小型野良犬、畑に出ると肥溜め。

僕たちはホテル近くの食堂で、5元の酸辣湯面と、6元の青椒土豆炒飯をたべました。酸辣湯面は小を頼んだのにかなりのボリューム。小麦の卵麺に鶏ガラスープ、少量の酢、肉味噌、高菜、入れ放題のパクチーが入ったシンプルなもので優しい味。青椒土豆炒飯は、細切りピーマンと細切りジャガイモとニンニクが入った炒飯でシンプルで大盛。

腹いっぱいになり、ホテルの部屋で疲れた体を癒しました。

翌日、空港まで送ってもらい、お金も無いまま中国でも有数の広さを持つ昆明空港をさまよいました。

無事チェックインを済ませ、暖房があまり効いていない搭乗ゲートへ。搭乗ゲート前のカフェでVIZAカードが使え、マッシュルームチキンカレーとケーキとコーヒーにありつくことができました。


ラオス ルアンパバーン→中国 昆明 寝台バス


早朝6時に迎えのトゥクトゥクに僕たちは乗り込み、バスターミナルで寝台バスに乗り換え、ルアンパバーンを旅立ちました。

僕はこの旅一番心配していたルートであり、24時間バスの中、しかも雲南省の山道という、聞いただけでゾッとするものです。

寝台バスは三列の二段ベッドがあるタイプで、リクライニングはありませんが、幅の大きな人にはちょっと窮屈かもしれません。

乗客は僕たち以外は中国人と思われます。

ルアンパバーンを出発して3時間、舗装の状態がとても悪い道を通り、踏み固められた土と砂利の上を走るたびに、絶叫マシンのような揺れに襲われます。

シートベルトをして寝ていないと二階から振り落とされそうです。

正午頃、食事休憩の街に止まります。

トイレは有料で、最初の休憩が1000K(13円)、食事休憩が2000K(26円)
値段が高くなるにつれて汚くなります。

食事休憩はバスターミナルであり、食堂は沢山ありますが、見た目が良くなく、大理飯店という中華料理屋さんが一番良さそうで、皆そこに入っていきました。

僕たちは持ち金が少なく、ラスクのようなお菓子ですませました。

そのバスターミナルからの道のりは、滑らかな舗装路で、揺れは無くなりましたが、カーブのきつい山道なので、戻す人が続出していました。

バスの中は、新札のインクの匂いに似た古い衣服の匂い、ハッカの匂い、誰かが食べている柑橘の匂いが充満していました。

中国人のおじさん達は皆、いがらっぽい喉を鳴らし、湿った咳をして痰を吐きます。

見ていると、ティッシュに包んで捨てるという配慮は伺えました。

夕方5時頃、ラオス側の国境に到着しました。

出国審査で中国人は、手に20000K(260円)とパスポートを挟んで審査員に渡していました。しかし、僕たち日本人は必要ないようです。

色んな物資をラオスに援助している日本政府に感謝です。ビエンチャンでは、バスに Supported by Japan 日本の国旗が描かれています。

再びバスに乗り込み、しばらく進むと中国の入国審査です。ここでは、全ての荷物を軍服を着た係員が中身をチェックします。

といっても、軽く手を突っ込む程度。大量の麻薬を発見するのが目的のようです。

入国カードは、機械でオート入力。久々のテクノロジーに触れました。

ラオス→中国陸路では珍しく、中国人バックパッカーの女の子が一人いて、英語で話しかけてきました。黒っぽい上下の服装の中国人男性達の中では、ジーンズに水玉のダウンジャケットは浮いていて、孤独だったのかも。

彼女はクリスと名乗り、タイやラオスを旅して来たようです。年越しのため西安の実家に帰って、その後ミャンマーとインドに行くそうです。

ラオス特有の高床の椰子葉屋根の小屋は無くなり、日本のような家と広大なバナナ畑に景色が変わりました。

道路は凹凸無く、滑らかな直線で、ビルや工事現場も見えてきました。

どうやら高速道路のようで、トンネルを幾つも抜けていきます。

次第に辺りは暗くなり、ウトウトとしていると、知っている英語の単語の会話が後ろから聞こえてきました。振りかえってみると、僕たちの後ろの席の若い男の子二人が英語で会話しています。思わず振りかえって、何処から来たの?と聞くと、中国と言います。彼らは英語の練習をしていたようでした。すぐに夕食休憩でバスは止まりました。

彼らと、クリスと四人でテーブルを囲み、僕たちは手持ちの50元の中から15元のプレートを彼女と二人で食べながら、皆で会話しました。彼らは上海近くの家に帰る所だったようで、昆明で飛行機に乗るらしく、僕たちは昆明で1泊する宿が決まっていなかったので、どこか良い宿がないか聞いてみました。すると、僕たちのためにスマホで宿を調べてくれて、電話までしてくれ、僕のクレジットカードが使えないと、自分のカードで支払いまでしてくれました。彼はバスターミナルにATMがあるからそこで払ってくれればいいと、至れり尽くせりしてくれました。

クリスと彼らも同じ年頃で仲良くなったようでした。

皆バスに戻り、600km以上北にある標高1800mの極寒の地、昆明に向けて順調にゆっくりと走ります。窓の内側には霜が垂れ、外の寒さを物語っています。

僕たちは、心地よく揺れるバスの中で、広大な中国と中国人の温もりに包まれて、何とも言えない安心感の中、熟睡していました。

昆明到着は翌日朝の7時。幾つものトンネルを抜け、雲南省の山々を直線に突き抜けていきました。

深夜、何処かでバスは停車し、エンジンも止まりました。揺りかごの揺れが止まったように、寝苦しくなり浅い眠りの中で長い間夢を見ていました。

イビキや歯ぎしりする人は一人もいません。皆、運転手も静かに寝息を立てていました。

夜明け前、僕は目を覚ましました。横に寝そべったまま、霜で濡れたガラス越しに外を見ていると、次第に明るくなり始め、霞んだ遠くに不気味に佇む高層マンションが見えてきました。

「クンミン‼︎ クンミン‼︎」

ビルは次第に数が多くなり、定刻通り昆明のバスターミナルに到着しました。

僕たちは、土埃でひどく汚れたバックパックを担ぎ、彼らに付いて行きました。バスターミナルは広く、トイレは混雑しています。

昆明の気温は低く、青空屋台で5元の面(麺)の朝食をいただきました。

僕のVISAでは昆明のバスターミナルのATMでは、キャッシングできませんでした。

持ち元45元しかない僕たちは、1人25元の空港シャトルバスに乗りました。お金が足りませんが、心優しいイウェン君が「空港でキャッシングして返してくれればいい」とチケットを買ってくれました。

40分ほどで昆明空港に到着。ATMはあるけどどれもVISAではキャッシングできず、結局イウェン君には日本からお金を送ることに。彼はお金じゃなくて、日本の何か特産が欲しいと言ってくれました。ありがとうイウェン君、かなりお世話になりました。

イウェン君は僕たちのホテルに電話して送迎まで呼んでくれ、後はお金はいらないから、カップヌードルで乗り切ってくれ!と、去っていきました。

僕たちは迎えの車に乗り込み、空港から中心地の真ん中にあるホテル街へ向かいました。その小さな街はビエンチャンより砂埃が多く、寒々しい雰囲気で荒涼としていました。




2013年12月22日日曜日

ルアンパバーン3日目


ココナッツ、檳榔、タマリンド、ライチ、白檀、バナナ、赤茶色のメコン川、煉瓦の歩道、フランス植民地時代の建築、更に色濃くなっていく少数民族色、豪華だけど重厚感ある仏教寺院、趣きのある町並み

ひとつひとつにエピソードがあり、ここに書くことがあり過ぎて追いつけないのは、ネパールのカトマンズ以来。

上の写真はメコン川に流れ込むナム・カーン川

川の色の違いがわかるでしょうか?

奥が赤茶色のメコン川、手間がナム・カーン川


バスターミナルに到着すると、宿の客引きが80000K(1040円)の部屋を勧めてくれましたが、バンビエンの安さが残っていたので、誘いを断り重いザックを担いで宿探しした結果、辿り着いた

Jaliya Guest House(ジャリヤ ゲストハウス)
120000K(1560円)/1泊

中心地にあるマーケットから歩いて10分ほどの立地ですが、近所に美味しくて安い中華料理屋さんや、お粥屋さん、商店などがあります。

部屋によりますが、僕たちの部屋のシャワーが熱々で勢いも良く気に入っています。

フランス人家族が泊まっていて、1歳の男の子と、6歳の女の子がとびきり可愛いです。

僕たちは、24日の朝に氷点下の中国は雲南省の昆明に寝台バスで旅立ちます。

乗車時間は24時間とか。

色々と心配はありますが、寝てれば到着することを期待します。




2013年12月20日金曜日

ルアンパバーン2日目 HIS発見


朝6時半に目覚め、まだ白い息が出るほど寒い中、ヒートテックの靴下と上海で買ったコンバースハイカットに、UNIQLOジーンズ、UNIQLOフリースを着込んで散歩していると、宿の近くにお粥屋さん発見。

大きな鍋の中にお米がぐるぐる回っていて、卵や揚げやソーセージが並べられています。

値段を聞くと、人差し指一本出した後に手を広げるので、15000Kかな? それにしてはちょっと高いかな?と思いつつ店内へ。

出されたのは、薄く味付けされたお粥に、豚肉?と葱とパクチーというシンプルなもの。

トッピングが色々あるみたいだけど、予算オーバーしそうで、そのまま食べました。

支払いすると、5000K…

ここの人は最初に「ひとつ」を指で示すようです。

川好きな僕は、メコン川に向かって歩いて行くと、波止場に付き、木造フェリーに車やバイクを満載して、流れの速いメコン川を渡ってきます。

まず最初に降りてきたのは、白黒の犬。

誰の?

いや、勝手に乗った野良犬ぽいです。

幅2mほどで長さが10mほどある細長い船が、メコン川の流れに逆らいながら、サーフィンのように船体を斜めにして川を渡っているのをぼーっと見ていました。

ぼちぼち歩いていると、H.I.S. の看板が!

昆明迄のバスチケットがあるか、英語で尋ねると、

日本人の方ですよね? 日本語の方が得意ですよ笑

という感じで、色々とルアンパバーンについて親切に教えてもらい、彼の手描きのわかりやすい地図までいただきました。

お坊さんの朝の托鉢見学は必見らしいですが、5時に行かなければ見れません。

ルアンパバーンには、レモングラスを炊いたサウナが二つあるらしく、10000Kで入れるそうです。


僕たちの宿からルアンパバーンの街までさ、少し距離があり10分ほど歩きます。

夕食のために街まで歩いていると、寺を通り抜ける近道を発見。

夕日が沈んで、空をオレンジとピンクに染めていたとき、この地方特有の尖った屋根にヒンドゥーのようなレリーフ、金色に輝くお釈迦様を持ったお寺の本堂の中から、静寂に包まれて、静かに落ち着いた、それでいて数十人の高い声の、お経のメロディが聴こえてきました。

僕たちは、吸い寄せられるように本堂の正面、金色のお釈迦様が見える位置で中を覗くと、黄土色の袈裟を着た数人の若いお坊さんが座ってお経を唱えているのが見えました。

そのお経は、日本の般若心経のような低い声で単調なものではなく、お経のズッシリした重みと、若い僧侶たちの軽やかでメロディがある唱えがバランスよく、久しぶりにゾクゾク感を味わいました。

本堂の階段を登り、入り口まで近づいて窓から中を覗いてみると、若い僧侶たちは足をボリボリ掻いたり、姿勢を崩したりして、結構面倒臭そうにお経を唱えています。

僧侶たちのサンダルは揃える事なく脱ぎ散らしていて、日本のように門前でガチガチに緊張して、背筋が凍りつくような厳粛な雰囲気ではありません。

それは学校のような感覚で皆が体験しなければいけない寺巡りの修学旅行みたいなものでしょうか。

兎に角、オレンジ色の袈裟に身を包んだ僧侶たちの姿は、世界遺産の街には欠かせない存在でしょう。

僕たちは滞在3日目にして、ここルアンプラバン(ルアンパバーン)を徐々に気に入っていることに気づきました。




2013年12月19日木曜日

ユネスコ世界遺産ルアンパバーン/ルアンプラバン


ルアンパバーンへ行く激しい道中、立ち寄った峠の山頂

バンビエンからルアンパバーンへは、バスで6時間ほど、険しい山道をのぼり、高度をどんどん上げていきます。


バスは16人乗りで、バンビエン出発時は10人の外国人が乗っていたはずが、いつの間にかラオ人が乗り込んで、バスは満員。

一人のラオ人は車に乗り慣れていないようで、車内でずっとビニール袋に戻していました。

その薄くて青い中身の見えるビニール袋は、タイでよく見るビニール袋に入れたフルーツジュースを思い出しました。

後で知ったのですが、何年か前はこのルートでツーリストバスを狙った武装集団による強盗事件が頻発していたようです。

くわばらくわばら


いつの間にかラオ人はバスから降り、道路の段差で飛び上がりながら、ルアンパバーンのバスターミナルに到着しました。

トゥクトゥクに30000K(390円)払い過ぎ、メコン川近くの中心地に到着。


今回はちょっと大きな街なので、宿探しに苦労しました。

街全体が世界遺産であるここルアンパバーンは、町並みが小奇麗で観光客が多く、マーケットには民族衣装が売られています。


ゲストハウス近くのレストランで食べたバジル焼き飯

ジャンバラヤの味に似て美味しい


彼女が絶賛していた餡掛け焼きそば

どちらも120000K(156円)




バンビエンでの最後の日


ただいまバンビエンからルアンパバーンへ、穴だらけの道路を10人乗りミニバスで移動中。

バンビエンの同じゲストハウスに宿泊していた日本人のオギー君は、一年間旅をしていて、帰国寸前に僕たちと出会った。

彼はインドに半年滞在し、トルコやイラン、トルクメニスタン、ウズベキスタン、タジキスタン、キルギスを経て中国に入り、チベット自治区外の内陸地域をバスや列車で移動、僕たちと逆のルートでラオスに入り、バンビエンで知り合った。

たった2日間の付き合いだったけど、僕たちがバンビエンを後にする前日である昨日、同じ宿のスロベニア人グレッグと四人でインド料理を食べに行った。

グレッグは日本語が少し喋れ、日本の漫画が大好きなゲームプログラマーだ。

食後にパブでサッカーゲームしたりお茶を飲んだりして、ささやかに盛り上がり、名残惜しくお別れした。

「会ったばかりなのに…」

始まったばかりなのに…」

というグレッグの言葉がずっと僕の頭の中で繰り返されていた。

2013年12月17日火曜日

フランスで風雲たけし城や北斗の拳

フランスでは、日本のテレビや映画、漫画が人気があるそうで、ゲストハウスで知り合ったフランス人カップルから、フランスで人気がある日本製を教えてくれました。

彼らはフランス南部マルセイユの出身で、失業保険をもらいながら旅をしているそうです。

二人とも髪は黒く、大らかで、見た目はスペインやトルコ人に見えます。

一ヶ月近く日本の文化に触れていなかったので、彼等の日本の知識に驚きました。

村上春樹とXジャパンを絶賛する彼女と、風雲たけし城や、キティちゃん、映画「1」や、北斗の拳など、古い漫画をよく知っています。

フランスと日本ではタイトルが違うので、カタコト英語でクイズのようになりながら、盛り上がりました。




2013年12月16日月曜日

Laap the Traditional Lao Food


ラオスの伝統料理『ラープ』

豚、鶏、鴨、牛、魚の中から肉が選べて、ナマズを想像して魚を注文したら、鯉のような歯ごたえの無い白身が出てきました。

メニューにはスティッキーライス(もち米)付きと書いていたのに、出てきたのはちょっと水分の多いタイ米でした。

ラープは、ミントやパクチーやレモングラスとインゲンを一緒に炒めたものです。

このレストランのラープは…な感じでした。


Riverside Backpackers Guesthouse


僕たちの宿泊先は、リバーサイドバックパッカーズ ゲストハウス

川の中州にあり、とても立地が良いです。

2011年にオープンしたようで、とてもきれいです。



一泊60000K(780円)

エアコン、テレビ、ホットシャワー、中庭、川沿いに屋根付きのハンモックスペースあり。

僕たちの部屋は二階で、ダブルベッドが二つあり、とても広いです。


広いバスルーム



2013年12月14日土曜日

ラオス/バンビエンの風景


バンビエンは、ラオスの桂林と呼ばれるカルスト大地で、巨大な岩が立ち並び、浅い川が流れ、景観のよい川沿いにホテルやレストランが立ち並ぶ観光地です。

この木の橋で対岸にあるゲストハウスまで行けるのですが、通行量が多くてもビクともしないようです。



対岸の牛たち



気球に乗れたり、カヤックしたり、チュービング(浮き輪で川下り)したり、レンタルバイクや自転車で遊んだりするところみたいです。


レストランからの岩山の景観



ミニバスでヴィエンチャンからヴァンヴィエン


タイのノンカイからラオスのビエンチャンへ帰ってきた僕たちは、ラオスでの滞在期間が15日伸び、荷物を置いてもらっていたヒューエンラオゲストハウスに一泊し、今日の朝ビエンチャンを後にしました。

ビエンチャン最後の夜は、同じ宿のフランス人カップルと少し話し、宿の倅であるタオ君とも仲良くなれました。

二週間以上居てウンザリしていたビエンチャンを去るために、60000K(780円)のミニバス(トヨタハイエース)に乗り込みました。

アフリカのような、中央線の無い、両脇に砂が積もった舗装路を、平均80キロで他の車をゴボウ抜きしていくラオ人ドライバーに、しびれを切らしたオーストラリア家族の旦那さん、ラオ語が堪能で、ドライバーに文句言っていました。

5歳の息子が車に酔って戻したようでした。

このドライバーは、毎日のように同じ道の往復を繰り返しているはずで、この道を知り尽くしています。

路肩の崩れた所や、道路に空いた穴の場所を完全に把握しています。

道を知り尽くしていれば、あなたのように、スピードが増すようになるでしょう。

危険な運転に見えるのは、僕たちが全く知らない道だからであり、慎重に進みたければ、レンタカーを借りて自分で運転すれば良いでしょう。


3時間ほどで、バンビエンに到着

街は閑散としていて、人通りもあまり無いようです。

空腹だったので、中心地に向かう途中のレストランで昼食

レストランに居た若いドイツ人カップルに、どこのゲストハウスに泊まっているか尋ねると、5ドルでダブルベッドの部屋があるそうで、見に行きました。

立地は良いが、建てまし中で工事の音が酷く、ハノイのホテルで昼夜働く現場を思い出し、却下。






2013年12月13日金曜日

タイ ノンカイから日本へ船便


サワディーカップ

写真はタイやラオスのローカルバスのフロント

ノンカイでの2日目、川沿いにあるマーケットでショッピングしました。


昨日の買い物と合わせて、郵便局へ荷を日本に発送しました。

タイのは日本の郵便局のような内観で、英語が話せるスタッフがいるのでスムーズです。


ゆうパックのように、梱包用の箱が売っているので、買い物してそのまま発送できます。

料金は、1kg 650Bで追加1kg毎に100Bほど。




Khiang khong guest house



僕たちは、ラオスにビザなしで滞在できる15日目を迎えたため、一旦タイのノンカイへ訪れました。

ノンカイは、国境であるメコン川を超えた対岸の街であり、ビエンチャンからバスで1時間(イミグレーションの手続きを含む)程度で到着します。

タラートサオショッピングモール横にあるバスターミナルから一日5本程出ており、予約は必要ありません。

ノンカイのバスターミナルに到着した僕たちは、メコン川沿いのKhiang Khong Guest Houseに400B(1500円)で一泊します。



立地良く部屋は清潔で、ビエンチャンに比べると安く感じます。

今まで、面白いと思わなかったテレビが、日本のように華やかでCMがあり、面白かったです。

僕たちは、Tesco Lotusというショッピングモールにトゥクトゥクで行きました。

ベトナムでもラオスでも見なかった商品の充実には驚かせられました。


2013年12月10日火曜日

Vientiane, Heuan Lao Guest House


なかなか面白かったリリーホテルをチェックアウトし、ヒューエンラオゲストハウスに2泊します。

マスターがいい感じです。


コテージ風の緑がいっぱいのゲストハウス


部屋はこんな感じ
換気扇、エアコン、ホットシャワー、網戸、Wi-Fi、風が抜けるように部屋の両側に窓があります。




猫と犬とココナッツと南国植物いっぱい


街の中心部から離れていて静かです。

2泊で34ドル










2013年12月6日金曜日

ラオスのヴィエンチャン

上海、南寧、ハノイ、ビエンチャンと、短い期間ではあったが中国、ベトナム、ラオスの都市に触れて見ました。

上海は以前にも増して発展し、成長しているのを肌で感じ、日本より進んでいる部分もあるように感じました。

ベトナムと中国、資本主義に浸食されていく社会主義国家は、慌ただしく、商売に夢中な様子。

比べてラオスは、中心部に車やバイクは多いものの、水は美味しく、ラオ人の笑顔は営業スマイルとは違うことに気付きます。

ラオ人はビールが大好きで、夜は家の前に数人集まり、酒盛りが始まり、通り過ぎる外国人を仲間に入れてくれます。

工事現場の作業員も、売店のおばちゃんも笑顔で「サバイディー(こんにちは)」と挨拶してくれます。

ラオスで安心できるのは、お金欲しさに近づく人がいないこと。
インドでも、タイでも、話しかけてくるのはそういう人が多くて、警戒してしまうけど、ここでは声をかけてきて怪しいと感じた人はまだいません。
中にはいるでしょうが少ないと思います。



2013年12月5日木曜日

City Animal in Vientiane Laos


猫は街中でよく見かけます。
反応は日本の野良猫と同じで、近づくと一定の距離を置きます。



七面鳥を飼っている家もあります。


ニワトリは地鶏で筋肉質



ビエンチャンの犬は、可愛い飼い犬が多いです。基本放し飼いなので、日本人は怖がっていますが、自転車でウロウロしても吠えながら追いかけられたことはありません。皆、人間には関心なく、オドオドしています。